世界モデル(World Models)は、AIシステムが現実世界を理解し、予測し、シミュレートするための内部表現技術です。近年の大規模言語モデル(LLM)の発展と並行して、AIに「想像力」を持たせる次世代技術として注目を集めています。本記事では、世界モデルの概念から最新の応用例まで、幅広く解説していきます。
目次
- 1. 世界モデルの基本概念と定義
- 2. 世界モデルの歴史と起源
- 3. 世界モデルの構成要素と仕組み
- 4. 世界モデルの能力と特徴
- 5. 最新の世界モデル技術と事例
- 6. 世界モデルの応用分野
- 7. 世界モデルの課題と将来性
- 8. 結論
1. 世界モデルの基本概念と定義
世界モデルとは、人工知能システムが現実世界を理解し、予測し、シミュレートするために使用する内部表現のことです。これは、現実世界の情報をエンコードし、それに基づいて意思決定を行うAIシステムの基盤を提供します [1]。より具体的には、「エージェントの取り巻く環境を、観測からの学習によってモデルとして獲得する枠組み」と定義でき、「AIに環境の変化や行動の結果を効率的に学習・予測させる技術」の一つです [2]。
世界モデルの本質は、AIに「想像力」をもたせることにあります。人間が行動を起こす前に頭の中でその結果をシミュレーションできるように、AIにも物理法則や因果関係を理解させ、結果を予測できる能力を与えることを目指しています [2]。
現在のAIは次の単語やピクセルを予測することには長けていますが、物理世界を理解し、行動の結果を予測する能力が欠けていると指摘されています。世界モデルはこの課題を解決するために提案されているのです [3]。
2. 世界モデルの歴史と起源
世界モデルという概念は、Google Brain 所属(当時。現在は Sakana AI のCEO)の David Ha 氏と LSTM の考案者である Jürgen Schmidhuber 氏によって2018年に発表された「World Models」という論文に由来しています [2][4]。この論文では、シミュレートされた車がレーストラックで自動運転を学習するための手法が探求されました [2]。
論文では、AIエージェントが環境をどのように認識し、インタラクションを行うかのモデルを革新的な方法で提示しました。エージェントに予測的な方法で環境とインタラクションする内部メカニズムを持たせることで、行動を取る前に「こういう行動を取ったら、こういう結果になるな」と予測した上で判断し行動を選択させることができることを示したのです [2]。
近年では、2024年にWorld Labsの大規模世界モデル(LWM)、Google DeepMindのGenie 2、OpenAIのSoraなどが相次いで発表され、世界モデル技術への注目が一気に高まっています [3]。
3. 世界モデルの構成要素と仕組み
3.1 基本構成要素
世界モデルは、一般的に以下の要素から構成されています [1]:
- 知識表現: 世界モデルは、事実、概念、関係、法則、原則などの知識を表現するためのデータ構造を使用します。これにより、AIシステムは現実世界の情報を理解し、エンコードできるようになります [1]。
- 知識獲得: 世界モデルは、様々な情報源から知識を獲得する能力を持っています。これには、テキスト、画像、音声などのデータを解析して情報を抽出するための機械学習アルゴリズムが含まれます [1]。
- 知識推論: 世界モデルは、既知の情報から新しい情報や結論を導き出す能力を持っています。これには、論理的な推論、確率的な推論、アナロジーに基づく推論などが含まれます [1]。
- 予測とシミュレーション: 世界モデルは、現在の状況や過去のデータに基づいて未来の状況を予測する能力を持っています。これには、時系列データの解析やシミュレーション技術が使用されます [1]。
- 自己改善: 世界モデルは、継続的な学習と経験を通じて自己改善する能力を持っています。これにより、AIシステムは新しい知識を獲得し、より正確な予測や推論を行うことができます [1]。
- 一般化と適応性: 良い世界モデルは、様々な状況や問題に適応できる一般化能力を持っています。これにより、AIシステムは新しい状況に対応し、未知の問題を解決することができます [1]。
3.2 「World Models」論文での提案アーキテクチャ
Ha氏とSchmidhuber氏の論文では、エージェントの内部アーキテクチャを、Vision(V)、Memory(M)、Controller(C)の三つの部分で構成しています [2][4]:
- Vision(V): 画像フレームの次元削減に変分オートエンコーダ(VAE)を使用します。これにより、大量のデータを管理しやすい圧縮形式(潜在空間/Latent Space)に変換します [2]。
- Memory(M): 潜在空間を利用して環境の未来の状態を予測します。リカレントニューラルネットワーク(RNN)を使用し、圧縮されたデータに基づきながら、潜在空間の時間変化をモデリングします [2]。
- Controller(C): Visionからの現在のデータとMemoryが予測した未来状態をもとに行動を決定します。強化学習的手法でControllerのパラメーターが更新され、最適な行動を決定します [2]。
この革新的なアーキテクチャにより、AIエージェントはシミュレートされた環境でのタスクを高い学習能力で解決することに成功しました [2]。
4. 世界モデルの能力と特徴
4.1 3次元空間の理解
世界モデルは、以下のような3次元空間理解能力を持っています [3]:
- 物体の位置や大きさを正確に把握する能力
- 視点が変わっても一貫した空間を維持する能力
- オブジェクト同士の位置関係を理解する能力
4.2 物理法則の理解
物理法則に関する理解も世界モデルの重要な能力です [3]:
- 重力や慣性などの基本的な物理法則に従った動きを表現
- 物体の衝突や相互作用を自然に表現
- 光や影、反射などの視覚効果を正確に表現
4.3 因果関係の理解
世界モデルは因果関係を把握する能力も備えています [3]:
- 行動とその結果の関係を予測
- 物体の性質に応じた適切な相互作用(例:硬いものは跳ね返り、柔らかいものは変形する)
- 時間経過に伴う状態の変化を予測
4.4 生成的理解
世界モデルの特徴的な処理の一つに「生成的理解」があります。これは、架空のイメージを生成して理解を深めるという処理で、人間の想像力に類似しています [2]。
例えば、バスケットボールのシュートについて考えるとき、人は頭の中で架空のシュートの実行とその結果をシミュレーションします。同様に、世界モデルは過去データからのデコードにおける生成を踏まえて、エージェントの行動からの結果を予測することで理解を深めます [2]。
この生成的理解という処理を介したシミュレーション環境での学習は、学習効率の観点で非常に有益です。実際にその行動を試す前に、安全で制御された仮想空間でスキルを練習し、洗練させることを可能にします [2]。
4.5 メンタルモデルとの類似性
世界モデルは、認知心理学における「メンタルモデル」に類似しています。人間が眼の前の状態と既に学んだ経験・知識に基づいて頭の中で想像し、その想像した結果から取るべきアクションについて考え、意思決定するプロセスと同様のメカニズムを持っています [2]。
世界モデルはつまるところ、AIが自らの「メンタルモデル」を獲得する方法と言い換えることもできます [2]。
5. 最新の世界モデル技術と事例
5.1 World Labsの大規模世界モデル(LWM)
World Labsは米スタンフォード大学のフェイフェイ・リー教授らが2025年前に立ち上げたスタートアップで、1枚の画像(2D)からインタラクティブな3D世界を生成する技術を発表しました [3]。
LWMで生成した3Dの世界は、キーボードやマウスの操作によって、その中を移動したり、360度見回したりすることができます。「これにより、映画、ゲーム、シミュレーター、その他の物理世界のデジタル表現の生成方法が変わる」としています [3]。
5.2 Google DeepMindのGenie 2
Google DeepMindのGenie 2は、2D画像から多様な3D環境を生成することができる基盤世界モデルです。この環境は、人間のプレイヤーやAIエージェントの訓練と評価に使用されます [3]。
Genie 2は以下のような多様な機能を備えています [3]:
- アクション制御: キーボードのキーに応じてキャラクターを正しく移動
- 反事実生成: 同じ開始画像から多様な軌跡を生成
- 長期記憶: 視野から消えた世界の部分を記憶し、再び観測可能になったときに正確に再現
- 多様な視点: 一人称視点、アイソメトリック視点、三人称視点など
- オブジェクトの相互作用: 風船を割る、ドアを開けるなどの相互作用をモデル化
- 物理: 水の効果、重力、照明、反射などをモデル化
5.3 OpenAIのSora
OpenAIのSoraは大規模なビデオデータでトレーニングされた高品質な動画を生成するAIで、プロンプトに従って高品質な動画を生成できます [3]。
Soraは世界のシミュレーターとしての能力を持ち、以下のような世界モデル的な能力を示しています [3]:
- 3D一貫性:カメラが動いても3次元空間で人間やシーンの要素の動きの一貫性を維持
- オブジェクトの永続性:物体が一時的に隠れたり、画面外に出たりしても追跡・維持
- 世界との相互作用:食べた後の噛み後など行動の影響をシミュレート
- デジタル世界のシミュレーション:Minecraftなどのゲーム世界も再現
6. 世界モデルの応用分野
世界モデルは様々な分野での応用が期待されています:
6.1 ロボティクスと自動運転
ロボティクスでは、より自然な動作と環境理解が可能になり、自動運転では複雑な交通状況での的確な判断が実現できます [3]。
6.2 AR/MRとシミュレーション
拡張現実(AR)や複合現実(MR)では、現実世界とデジタル要素のよりシームレスな統合が可能になります。また、製品開発や訓練用の高精度な仮想環境の生成にも活用できます [3]。
6.3 クリエイティブ制作
映画やゲームでのよりリアルな映像表現が可能になります [3]。
6.4 ウェブエージェント
2024年の研究では、世界モデルを活用したウェブエージェントが提案されています。World-model-augmented (WMA) ウェブエージェントは、アクションの結果をシミュレートして意思決定を改善します [5]。
6.5 マーケティング
世界モデルはマーケティング活動にも大きな変革をもたらす可能性があります [3]:
- 商品開発とプロトタイピング:2D画像から即座に3Dモデルを生成し、様々な角度から商品デザインを検討
- 没入型マーケティング体験:商品の使用シーンを臨場感のある3D映像で表現
- コンテンツマーケティング:商品説明動画の制作コストを大幅に削減
- 市場調査・消費者理解:バーチャル環境での商品使用テスト
7. 世界モデルの課題と将来性
7.1 現在の課題
世界モデルには、まだいくつかの課題が残されています:
- 物理法則の正確な表現:Soraなどでは、物体が不自然に変形したり、物理法則に反する動きをしたりすることがあります [3]。
- 長時間の一貫性:特に長時間の動画生成では一貫性を保つことが難しい場合があります [3]。
- 安全性と信頼性:AIエージェントシステムの基盤として世界モデルを使用する場合、その安全性は重要な課題です [6]。
- 説明可能性と透明性:世界モデルの意思決定プロセスを説明可能にする必要があります [2]。
7.2 LLMとのシナジー
世界モデルとLLM(大規模言語モデル)のシナジーも興味深いトピックです [2]。世界モデル単独では解決が難しい問題でも、LLMのディレクションを入れることで効果的に解決できるケースがあります。しかし、LLMは処理速度が遅くなりうるという課題もあり、リアルタイム処理が必要な場合は適用が難しいケースもあります [2]。
7.3 AGIへの道
世界モデルは、より高度な能力を持つAIエージェントの開発、さらには汎用人工知能(AGI)への重要なステップとして位置づけられています [3]。OpenAIでは、Soraを「AGIを達成するための重要なマイルストーン」と考えています [3]。
世界モデルの汎用性は、AGI開発において重要な特性です。Memory部分で内部に世界モデルを構築し、Controller部分での報酬設定を変更することで、特定タスクや価値観に最適になるようAIの振る舞いを導くことができます。この世界とタスクの分離は、AIの汎用性を高め、より多様かつ複雑なタスクの実行を可能にするため、AGI開発の鍵となります [2]。
8. 結論
世界モデルは、AIに想像力を持たせ、現実世界を理解し予測するための革新的な技術です。2018年のHaとSchmidhuberの論文に端を発し、近年ではWorld Labs、Google DeepMind、OpenAIなどの主要企業が独自の世界モデル技術を発表しています。
世界モデルは、3次元空間理解、物理法則理解、因果関係理解といった能力を備え、ロボティクス、自動運転、AR/MR、クリエイティブ制作、マーケティングなど様々な分野での応用が期待されています。
現在も物理法則の正確な表現や長時間の一貫性維持などの課題はありますが、LLMとのシナジーやAGIへの道としての可能性も含め、世界モデルはAI技術の未来を切り開く重要な分野であることは間違いありません。世界モデルの発展は、より安全で信頼性の高いAIシステムの実現に貢献し、人々の生活や社会全体に役立つものとなるでしょう。
参考文献
- [1] deepsquare.jp. “World Modelsとは?AIが世界を理解するための内部モデル”
- [2] note.com. “AIに「想像力」を与える世界モデルとは何か?”
- [3] innova-jp.com. “AI Weekly #35:世界モデルの最新動向 – World Labs LWM, Google DeepMind Genie 2, OpenAI Sora”
- [4] arxiv.org. “World Models”
- [5] arxiv.org. “World-Model-Augmented Web Agents”
- [6] arxiv.org. “On the Reliability of World Models”